私がコミュニケーションスキルに拘る理由
兼ねてからコミュニケーションスキルの重要性について、色々なところで話したり、ここで書いてたりしていたが、自分自身がどうしてここまで「コミュニケーションスキルに拘っているか」、自分でも疑問に思っていた。
しかし、ここ最近色々な人の話を聞いているに連れ、ようやくその理由が見えてきたので、今日はここでその想いをシェアしたいと思う。
今回は特に「この層に」と言った指定がなく、あくまでの自分の意思表明みたいなものになるだろう。したがって、筆者がどう言う人か興味を持たれた方が読んでいただけたら、幸いである。
コミュニケーションスキルの悪用が許せない
自分の主張の正当性をアピールするために、マジョリティを作り、相手側をマイノリティにするやり方や、相手のネガティブキャンペーンを張るなどの行為に対して、自分はとてつもない憤りを感じる。特に、「客観的に見たら私が正しい」という風に意図的に持っていくコミュニケーション術を見ると、怒りを通り越して悲しくなってくる。
そのせいか、TVのドラマなどはあまり見ないようにしている。そういう人間関係闘争がネタになることが多いので、見ていて気分が悪くなるからだ。
もちろん、人は感情で動く生き物だから、何かに対して感情的になり、相手側をどうにかしてやろうという気持ちが抱くのもわかる。しかし、「実際にそれを実行する」ことは何かが違うなと思ってしまうのである。
言うなれば、コミュニケーションスキルを悪用することは、プログラミングスキルを利用してウイルスを作り、他人を害す行為に等しいと自分は考える。
本当のプロフェッショナルとは
以下に挙げるものは、私が勝手に師匠と崇めている方の言葉だが、ざっくり言うと、以下の3つの条件に当てはまる人をプロフェッショナルな人としている。
- 圧倒的な技術力を持つ(チョットデキルじゃダメ)
- 顧客のためにその技術を使う(自己満足じゃない)
- 高い倫理観を持つ(誰かを害してはならない)
残念ながら、自分が今まで見た印象として、3まで意識している人は正直そこまでいないと思う。自分自身も、常に高い倫理観を維持することは難しいと考えているから、常に「こうありたい」と心がけて日々行動している。
コミュニケーションスキルに関してもそうだ。倫理観の無い状態でこのスキルを使うことは大変危険である。場合によっては誰かの人生の明暗を分ける事もあるし、ハラスメントは典型例と言えるだろう。
まとめ
自分は誰一人幸せになっていない状況が一番嫌いであり、誰かの自己満足のために多数が犠牲になるという行為も嫌いである。
特にコミュニケーション系は、倫理観を意識しないと、意図的では無いにしろ、ハラスメント的な状況が出来上がってしまうものだ。意図的なものは論外だが、そうで無い場合も気をつけるべき事は沢山ある。
だから、自分がもしコミュニケーションのスキル講座みたいのをやる機会があったら、スキル手法よりも、倫理的なものを重視してお話ししてみたいと考えている。
技術は本来、皆を幸せにするために活用されるべきだ、と言うことをこれからもずっと言い続けて行くだろう。