コミュニケーションの相手は他人だけじゃない
コミュニケーションは「意識伝達」とか言われたりするが、伝達するということは必ず「発信者」と「受信者」が要る。人間社会のあらゆる場面で「コミュニケーションは大事です」と言われているが、これも「自分以外の存在と関わる為」には必須の技能なのだと考える。
さて、この「自分」と「他人」について、色々と思うところがあったので、皆さんにそれをシェアしたいと思う。今回は特に感覚的な話になるので、もしかしたら共感を得られないかもしれないが、あらかじめご容赦いただきたい。
自分と他人の境界はどこ?
皆さんは自分と他人の境目について考えたことはあるだろうか?目に見える世界で判断する観点もあるし、そうでない観点もあるだろう。例えば、自分の身体までを「自分」その外は「他人」と捉えたりできるし、制御可能な範囲で「自分(手足)」と「他人(内臓)」を区別することも可能だ。
今回は、この境目を明確に決める事が目的ではなく、境目の置き方によって、コミュニケーションの「発信・受信」の関係が感慨深いものになることを伝えたい。
例えば「自分の意識」と「自分の身体」に境目を置いてみたら、それぞれが「発信・受信」の関係になり、所謂「身体との対話」が実現できるし、「自分の意識A」と「自分の意識B」のように分離すれば、「脳内会議」が実現できるわけだ。これらの対話が本当に意味があるかどうか、疑問に思うかもしれないが、自分はメンタルの観点から見ても重要なのではないかと考えている。
他人を利用しないコミュニケーションのメリット
前述した例はどれも他人が関与しないコミュニケーションシステムだ。これにはいくつかのメリットがあると考える。具体的には次の3つがある。
- コミュニケーションの仮想的な練習ができる
- 時と場所を確保さえすれば、他人に迷惑をかけない
- 他人が必要とする場面が明確になる
別エントリーでも述べたが、コミュニケーションのスキルを磨くには「練習」しかない。
この練習は「他人」を使うことも重要だが、相手が「今の話し方よかったよ」などのフィードバックを返してくれるタイプで無い限り、スキルアップは難しいだろう。その点、自分自身なら仮想的に「ああいえば」「こういう」みたいなやりとりをしつつ、表現方法について色々考えるキッカケを生み出す事ができる。日記もそうだ。過去の自分との対話になる。特に「何も取り繕わずに」書いた文章を後で見返す事で、「この表現はキツイかも」と自己フィードバックを得られれば、それだけで少しは改善の方向に向かうだろう。
自分は「仲間と飲みに行く」と同じぐらい「一人で瞑想する」ことも大事だと思っている。今回のテーマにもなっている、どちらも「コミュニケーション」には変わりないからだ。会社でも「コミュニケーション用の費用」として「1人で喫茶店でぼーっとする目的」でも清算して欲しいと願うばかりである。
ビジネスのため、お客さんを接待(会社の交際費使用)とかやるのなら、
ビジネスのため、1人喫茶店で瞑想するコストも会社の経費にしてほしいwww
他人とのコミュニケーションも大事だが、自分自身とのコミュニケーションも大事だと思うの。
— kuroyan@Servant Leader (@kuroyan_insight) May 2, 2018
ただし、自分の中だけで完結した世界でのコミュニケーションには限界がある。悩み系はどうしても堂々巡りする為、こう言う時は誰かとコミュニケーションを取る方が心理的には良い。この事実をもってしても、コミュニケーションで他人が必要となる場面がはっきりわかるはずだ。
まとめ
- コミュニケーションにおける「発信」「受信」を自分自身の中で作る事ができる
- 自分自身との対話も立派なコミュニケーション
- 自分自身でコミュニケーションを重ね、それでも腑に落ちない時に初めて外(相手)に頼る
ここまで書いて思ったが、ブログを書くことも、一つのコミュニケーション手段であり、あとで見返した時に、自分の思考の沿革が見えてきて面白い。
皆さんも「 コミュニケーションは必ず相手が必要だ」という考えから、一歩離れてみて、自分自身とコミュニケーションしてみると、色々な発見が出てくると思う。