叱られ方研修より叱らない研修を
最近、Twitterのタイムラインを眺めていたら、WBSで特集していた「叱られ方研修」について物議を醸し出しているようだった。ちょうどTogetterで纏められていたので、一連のの反応はこちらを参照されたい。
新卒向けに『叱られ方研修』なるものが開催されている…『イマドキの新卒が早期離職するのを防ぐ』のが目的→様々な意見が集う
さて、おそらく研修をさせた側の目的は、「今の新人はメンタルが弱いので、あらかじめ[叱られ方]の研修をする事で事前に耐性を身につけてほしい」ではないかと自分は推測している。上司と新入社員ともなると世代が異なるケースが多く、また最近の新入社員は「○○世代」と揶揄されて一種のレッテルで判断されてしまうことが多いと思う。上司世代も「○○世代」って言われたんだけどね……。
世代間闘争についての論述は他に譲るとして、ここでは上司側が意識してほしい点について、自分の考えをシェアしたいと思う。
尚、ここで「叱る」という表現は「怒りを表して、キツイ言葉や大声で威圧する等の攻撃的な表現で相手に何かを伝える事」として用いている。正確な定義はおそらく違うだろうし、「怒らない叱り方もありますよ」という反論も一理あると思うので、あらかじめ用途をお伝えしておく。
叱る事のコストパフォーマンスを考える
上司の皆さんは、「怒って得するのは誰だろう」と考えたことは無いだろうか?部下の為?組織の為?
自分の考えで恐縮だが、怒って得するのは怒った人だけ。しかも怒った直後だけ(感情爆発による一時的達成感のみ)と思っている。また、怒ることはエネルギーを使う。だから、それなりのコストを払うのだが、それに見合った対価が果たして得られているのだろうか疑問を感じる時がある。
これは自分が実際に体験したことだが、出社直後に何故か怒鳴られて、1日仕事にならなかった事がある。
それだけならまだ良かったが、「○日後までに対案考えろ!」のような宿題まで課せられ、夜も寝れなくなって、次の日にも影響した。
ふと思考する時間ができてしまうと、相手との対話シミュレーションをしてしまい、「ああいうと、多分こう返される」等、何を言っても否定されるという未来しか見えないような経験も何度かあった。
叱る=殴るである
そもそも叱るという行為について本質的に考えると、「叱る=殴る」であり、違いは精神的か物理的かぐらいだろう。例えば、物理的に相手の行動を阻む時にはどうすれば良いか?それは殴る(もしくは殴ろうとする)ことで相手の動きが止まるだろう。これを叱るに置き換えれば、相手の思考を阻む時にはとても効果的な方法になってしまう。
しかし、ビジネスにおけるコミュニケーションは「相手が自分の意思で動いてもらう事」である為、思考を阻む様な行為はマイナスにしかならない。殴るとか物理的に手が出ることは最悪のパターンだ。
怒りがどうしても浮かび上がる場合は?
そうは言っても人間怒ることは誰にだってある。その場合はどうすべきか? それは、自分1人で解消する方法を身につけるしか無いだろう。世の中には「アンガーマネジメント」と呼ばれるものもある。
完全にコントロールできなくとも、こういう存在があると言うことは、上司となる人材全員が知ってほしいものである。もしかしたら、今時の新人の方が詳しいかもしれない。
まとめ
- 怒るという行為は相手の行動力を削ることであることを自覚せよ
- 怒りたければ、防音室でも用意して、そこで1人で怒鳴れ
- サンドバックも用意して、ついでに体も動かすと心身ともにリフレッシュできるよ
生物的に考えても、「攻撃」に対しては「防衛反応」が起きてしまうのは、皆さんも知っているハズだ。攻撃と防御は共にコストがかかるし、それこそ消耗戦にしかならない。ビジネスゴールは何なのかを常に考え、冷静な判断をするように心がけていただけたら幸いである。
そして、我慢できない怒りは、人に迷惑を掛けずに消化できるようなスキル・環境を用意しておくこともお忘れなく。