エッセンシャル思考を読んで

最近読んでる本。出版は2014年なので、もう3年前になるのか。

まだ読んでいる途中なんだけど、自分の過去を振り返って、色んなことを思い出すキッカケになった。例えば、本の中で何度か出てくる記述として「本当に必要なものだけやる。他はノーと言う」と言うのがある。

課題提出が嫌いだった子供時代

自分が中学生だった頃の話になる。とにかく宿題や課題提出が嫌いだった記憶がある。理由としては、おそらく「興味のないことをやらされることの抵抗感」だったと思う。今でもそうだけど、とにかく自分がやりたくない事をやるのが嫌だった。誤解を解くために言うと、やりたくない事でも、周りの誰かが喜んでくれるものだったら、まだモチベーションになる。しかし、宿題や課題をこなす事で周りが幸せになるとはとても思えない。

そう言う考え方で過ごしていたので、教師からは

「お前のような与えられた課題をこなせない奴は大人になった時に絶対に困る。」

と、有難いお言葉をわざわざ授業中のクラス内で全員が聞こえるように頂いたことがある。

因みに、今現在、特に困ってもいないし、普通に過ごせている。

そもそも「ノー」と言えない環境

ここで話が「エッセンシャル思考」の本と絡んでくるが、学校教育の「宿題・課題」は基本的に「ノー」と言えない環境になっている。この環境こそ「言われたらとりあえず応えなければいけない」精神を植え付ける根元だと考える。自分は結局の所、課題を提出日に出すことは殆どなく、散々脅された挙句、「内申の為に仕方なく」対応していた。その時コストパフォーマンスを最大限考えて、最小の労力でとにかく「提出する事」を目的において、成果物の質は最低にしたところ、受け取った教師から「これじゃ意味ないよ」と言われたりした。そもそもその課題には興味がなかったので、言われた自分も「まぁ、そうだろうねー」と思っていた。

ちなみにその時の課題は社会科で「今学期の授業内容をノートに纏めたもの」だったと記憶している。

今は選択肢の中に「ノー」がある

先程述べたように、今現在も自分の考え方は変わっていないと思うし、それで困ったことは特に起きていない。大人になると、意外と「やる意義が感じられないものを、やらない」と宣言しても問題ないケースが多い。人によっては「面倒くさい奴だ」と思われるかも知れないが、全員に好かれたいと思っている訳ではないので、特に気にしていない。

従って、自分にとって「考える」ことが武器だと思っているからこそ、余計なリソースを割くようなことはしたくないと考えているわけである。

「ノー」と言ってくる人は本質を見抜く能力があるのかもしれない

例えば、今度は自分が誰かに何かを頼む場合を考えてみる。部下でも、同僚でも良いんだが、頼んだ時に相手から「ノー」という反応が来たとする(直接的でも間接的でも)。心理上「言うこと聞いてくれよ」と思ってしまうのをグッと堪えて、相手とその頼み事自体の「必要性」を議論する。すると、「必要性がない」ことがわかるか「相手が必要性を理解してくれる」かのどちらかになることが多い。もし、必要性がないという結論になったら、その人のお陰で「余計な仕事が1つ減った」ことに感謝すべきだし、相手が必要性を感じたら、能動的に動いてくれるはずだ。

いずれにせよ、頼み事を言った時に快く(何の疑いもなく)「はい、やります。」と反応する人程注意した方が良いと思うようになった。

当面の目標として、自分のチーム全体にこのエッセンシャル思考を浸透させて、どのぐらい生産性が上がるのかを確かめてみたい。おそらく他のチームより遥かに高い生産性を叩き出すことが可能だろうと思っている。

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