AIのことについて学ぶ個人的な理由
最近はビジネスの現場において、どこもかしこも「Deep Learning」とか耳にする事が増えてきたと思う。ひとつのキッカケとしてCNN関連で画像認識が人間を超える精度を叩き出した事だと思われる。アカデミックの世界では、もっと前から多くの研究者達が扱っているテーマだと思うが、一般的なフィールドに降りてきたのはここ数年の話だと感じる。そして今後Deep LearningをはじめとするAIがどんどん発展し、未来を楽観的に考える人もいれば、悲観的に考える人もいる。
自分はその中でも前者にあたる楽観的な考え方を持つタイプだ。理由はいくつかあるけど、一つ挙げるとしたら「悲観的に考えても仕方ない」に尽きる。結局はその時になってみないとわからないし、その時に考えるしかないかなと自分では思うわけで。
そんな訳で、このまま何もわからずに、ただAIの発展を眺めるのも勿体無いなと思い、最近はAI全般について自己学習している日々が続いている。取っ掛かりはDeep Learningではなく機械学習(Machine Learning)の方から。機械が学習するという事は一体どういう現象なのかを知りたかったのである。そこでタイトルに書いてある通り、学ぶ理由について自分の考えを書いておきたいと思う。いろんな意見があると思うが、今のところ自分はこう考えているということを示しておきたい。
今のAIが出来ること、出来ないことを知る意義
結論から言うと、AIの現在の限界を知ることで、自分が出来る事を見つめ直すキッカケになると思った。単純に考えれば、AIで出来る事はその内「効率化・コスト削減」の為に導入されて、その作業を人間がしなくて良くなる。その代わりに、AIで出来ない事を人間が注力する状況になるだろう。その時に自分のスキルセットが全てAIで代替可能にならないように、現時点でのAI限界を知る事はとても重要だと考えた。
AIで出来る事を人間でやろうとすることにビジネス価値はない
誤解を恐れずに言い切ると、例えば海外出張する時に飛行機を使わず、歩いて海辺まで行き、泳ぐかカヤックで海を渡り、目的地まで行くビジネスマンは居ないと思う。ビジネス的に非効率なのは明らかだからだ。今の技術で最もコストパフォーマンスが高い方法をとると、飛行機というテクノロジーを利用するのが自然なのだ。
それと同じようにAIで解けるビジネス課題を人力で解く時代もその内無くなると思う。ビジネスとは違った世界で、人力で問題を解くという分野が確立されるかもしれないが……。人類の歴史を振り返っても、徐々に人間がしていたことを他が代替するようになって、人間はその空いた労力を別のことに使うようになり、新しい価値観が生まれていくと思うのである。
現場の抵抗は思ったより大きい
これは自分のかつての後輩から聞いた話である。彼が会社の製造部を見学した時に、現場の人間と交流する場が設けられて、彼は現場担当者にこんな質問をしたそうだ。
「この組み立て作業はロボットの導入でもっと効率化が図れると思いますが?」
現場担当者はこう答えた。
「それは作業者の仕事を奪うことになるから導入とかは考えていない」
この話を後輩から聞いた時に椅子から転げ落ちそうになったのを覚えている。つまり、現場担当者は例えば競合する企業が効率化に舵を切り、製造コストを下げる事に成功してしまうと、そことの価格競争で苦しい思いをすることに気がついていないという事である。もっと言えば、たとえロボット導入に抵抗できたとしても、グローバルに考えると「単価の低い人員に置き換わる」事には変わりが無いと自分は思ってしまうのである。
難しい問題なのは承知で言うが、遅かれ早かれ「取って代わられる作業」なのは間違い無いから、人間でないと付加価値が付けられない作業を探して行くしかないと思うのである。
今後の価値観の変動ついていく為にも
AIについて学ぶ意義があると自分は思う。ソフトウェアを作って顧客へ提供し続けてきた身として、この分野のことについて学ぶ土壌は備わっていると感じる。だからこそ、現在、インターネット駆使すれば学習する手段は幾らでもあるから、学習することに対するデメリットは殆ど無く、AIについて学びながら、いろんな可能性について模索していきたいと思った次第である。
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